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四文字(16)

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<四文字 (16) 目次 >    本コーナーの漢語

751石人点頭     752蔵身露影     753雪覆芦花
754沢広蔵山     755箭鋒相拄     756疎影横斜
757天真而妙     758桃花悟道     759鉄樹開花
760填溝塞壑     761頭上漫漫     762透過雲関
763白圭無拈     764道無古今     765任運無作
766百花春玉     767微妙法門     768入泥入水
769日中迷路     770得魚忘筌     771直指人心
772渡驢渡馬     773不期明日     774平歩青霄
775風行草偃     776文彩已彰     777不鼓自鳴
778別是一風     779撥草参玄     780風吹柳絮
781不惜眉毛     782勿嫌底法     783万法一如
784非心非仏     785撥草瞻風     786万古清風
787賓主歴然     788賓主互換     789露柱拍手
790竜吟雲起     791別無聖解     792明月芦花
793宝所在近     794無位真人     795探竿影草
796超仏越祖     797薬病相治     798明月蔵鷺
799遊山翫水     800無欠無余
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 四文字(16)



■751石人点頭」(せきじんてんとうす)
石で作った人形がうなずくの意。「石人」は分別情念を離れた存在を表し、転じて無の境地に徹した人を表している。「露柱拍手」(むき出しの柱が拍手をしている)と共に用いられる。【景徳伝灯録・北宋】
Mm751






■752蔵身露影」(みをかくしてかげをあらわす)
体を隠しているけれど、影が現れている。明確な言葉では表現されていないが、大切なものの気配が少しずつ見え隠れしていることであり、重要なところは、ただほのめかすだけにしておくの意。【碧巌録・宋】
Mm752






■753雪覆芦花」(ゆきろかをおおう)
芦に数え切れないほどついている白い小花に真白な雪が覆っている。一に非ず二に非ず、主体と客体とが融合して一つに成り切った状態。禅修行者に対して「雪が芦花を覆うとはどうゆうことか?」の問いがよくある。【碧巌録・宋】
Mm753






■754沢広蔵山」(さわひろくしてやまをかくす)
沢が広ければ山を隠す。「狸能伏豹」(山猫も豹を屈服させることができる)と並べて使われる。【法演語録/荘子・】
Mm754






■755箭鋒相拄」(せんほうあいささう)
矢の先が互いにぶつかること。弓の名人同志が決闘をした時、夫々の放った矢が空中で衝突して噛み合うこと。力量が拮抗した者同士の見事な戦い。「烈子」中の故事に基ずく語句。【碧巌録・宋・】
Mm755






■756疎影横斜」(そえいおうしゃ)
梅の花のまばらな影が横に斜めに、清らかな水面に映っている幻想的情景描写である。林和靖の「山園小梅詩」からの一節である。【林和靖詩・宋】
Mm756






■757天真而妙」(てんしんにしてみょうなり)
真理というものは天然自然のあり方そのものであり、言葉で表現できないほどの深みがある。「天真」は人為を加えないありのままの姿のこと。そのままであれば、悟りや迷いの相にとらわれることはないとの教えである。【宝鏡三昧・唐】

Mm757





■758桃花悟道」(とうかにみちをさとる)
桃の花を見て仏教の尊い真理を悟る。霊雲禅師が三十年に及ぶ修行生活の末、桃の花を見て悟りを開いたという故事に基ずく。【五燈会元・宋】

Mm758





■759鉄樹開花」(てつじゅはなをひらく)
鉄でできた木に花が咲いた。生命感のないところに、生き生きとした息ぶきが現れること。煩悩や妄想・執着により束縛されていた心に真理の光が差し込み、清らかな境地が開けること。「枯木花開」なども同義。【碧巌録・宋】

Mm759





■760填溝塞壑」(みぞをうめたにをふさぐ)
溝をうずめ、谷をふさぐ。少しの隙間もなく(真理で)満たされていること。<あたり一面真理で満たされているにもかかわらず、それに気付く者がいない>と碧巌録には記述されている。【碧巌録・宋】

Mm760





■761頭上漫漫」(ずじょうまんまん)
頭上を見上げれば広々とした限りない空間があり、その中に仏法が様々な形で現れていることを表す。「漫漫」とは遥かに広がって一面を覆い尽くしている様を表す。この語句は「脚下漫漫」と共に用いられるのが常である。【碧巌録・宋】

Mm761





■762透過雲関」(うんかんをとうかす)
大徳寺開山大燈国師の大悟の偈「一回透過雲関了 南北東西活路通」(ひとたび「雲門の関」を透過すると、あらゆる方向に道が開ける)に基ずく語句である。「雲門関」は容易に通ることの出来ない代表的な考案である。【大燈国師偈・鎌倉時代】

Mm762







■763白圭無拈」(はくけいきずなし)
完全無欠であること。私達が本来有している仏の本性の完全性を例えた語句表現。「白圭」は白く清らかで上が尖り下が方形の玉のこと。言葉を軽く用いることを戒めて「白圭之詩」と呼んだので、欠点のない言葉の例えにも使われる。【碧巌録・宋】

Mm763





■764道無古今」(みちにここんなし)
真理には、昔も今もない。真実のあり方は、太古から現在に至るまで少しも変らない。古今東西の聖賢の教えが、数百年数千年にわたり人々を教え導き、励まし、慰め続けていることを端的に表している。「松無古今色」「松樹千年翠」なども同趣旨である。【槐安国語・唐】

Mm764





■765任運無作」(にんぬんむさ)
自然のままに任せて、自分の意志や作為は全く加えないこと。精神統一の境地にあって、心を働かせないで一切をあるがままにすること。「任運自在」ともいう。「任運」は元来、老荘の「無為自然」から発生した思想である。【~・】
Mm765






■766百花春玉」(ひゃっかしゅんぎょく)
春を迎えて至る所に咲き誇るさまざまな花は、大地に輝く宝石に等しい。【清巌宗渭・江戸時代】
Mm766






■767微妙法門」(びみょうほうもん)
普通の能力では推し量ることの出来ない奥深い真理の教え。この上なく素晴しい悟りの内容。釈尊による伝法の場面で用いられる。「正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙法門を、文字に頼らず経典の教える方法にもよらないで、摩訶迦葉に与えよう」の言葉で知られる。【無門関・宋】
Mm767






■768入泥入水」(どろにいりみずにいる)
泥の中に入って汚れ、水にもぐって濡れながら人を助けること。衆生済度のために、汚れた場所へ慈悲心を持って分け入って行くこと。【人天眼目・宋】
Mm768






■769日中迷路」(にっちゅうみちにまよう)明るい日中なのに道に迷うことであり、転じて、身の回りに尊い教えがあるにもかかわらず気付かないで迷い続けていること。白隠禅師の言葉「水の中にいて渇を叫ぶがごとくなり」と同義である。【五燈会元・宋】
Mm769






■770得魚忘筌」(うおをえればせんをわする)
魚を捕えてしまうと、道具の筌のことを忘れてしまう。目的を達成してしまうと、手段となったもののことを忘れ去ってしまうこと。【荘子・】
Mm770_2







■771直指人心」(じきしにんしん)
人の心を直接指すこと。言葉や文字等の間接的方法を用いないで端的に指し示すこと。禅宗の教えの要点を示す言葉であり、自らの心の本質が仏の本性そのものであることを自覚する「見性成仏」とともに用いられる。【従容録・宋】
Mm771






■772渡驢渡馬」(ろをわたしうまをわたす)ロバでも馬でも、どんなものでも自由に通行させる。転じて、あらゆるものに対して差別することなく救いの手を差し伸べること。石橋について尋ねられた趙州禅師の返答である。【碧巌録・宋】
Mm772






■773不期明日」(みょうにちをきせず)
千宗旦が茶席に遅れた大徳寺清厳和尚に「明日来て下さい」の伝言外出に対する返事「懈怠比丘不期明日」に基ずく。今日この時の大切さを強調する言葉で、「今日庵」の由来ともなる。【清厳和尚・江戸時代】
Mm773






■774平歩青霄」(へいほせいしょう)
広い青空を大手を振って悠々と闊歩すること。日常にあって高い境地を持って無碍自在にふるまうこと。しかし真の修行者は、更にその境地にも留まらず「不住青霄裡」(青霄裡にとどまらない)ことが求められるのである。【碧巌録・宋】
Mm774




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■775風行草偃」(かぜゆけばくさふす)
風が吹きすぎれば草はそれに従ってなびく。ものごとが自然に成就してゆくことの例えである。原典は論語にもあり<風が吹けば草がなびくように、德のある人が世を治めれば人民は必ずそれに従う>の意。【碧巌録・宋】
Mm775






■776文彩已彰」(もんさいすでにあらわる)
ものの姿、人の力量が既に表れて隠しようもなく示されていること。模様・色彩のことを「文彩」といい、「文彩露」(文彩あらわる)など禅語録でよく用いられる。【碧巌録・宋】
Mm776






■777不鼓自鳴」(うたずおのずからなる)
刺激を与えなくても自然に音声が現れること。仏の説法などの祝福すべきことがあった時、天の楽器が自然に音を出して音楽が流れる様。法華経などの仏典の中で多く見出される表現。【天聖広灯録・宋】
Mm777






■778別是一風」(べつにこれいっぷう)
他と区別される独特のあり方、他と違う家風のこと。禅宗においては様々な家風が示されたので、相違により五家七宗のような分派が起った。「別是一家風」と同義。【~・】

Mm778





■779撥草参玄」(くさをはらってげんにさんず)
様々な困難を除去して、どこまでも真実を求めること。師を求めてどんな場所にでも行くという意味と、煩悩の草を払いのけるという意味の両方に解釈される。「撥草」は草をかき分けること、「玄」は奥深い真理をさす。【無門関・宋・】

Mm779





■780風吹柳絮」(かぜりゅうじょをふく)
風が吹いて柳の綿を飛ばすこと。「柳絮」は春の終わり頃、柳の実が熟して綿のように乱れ飛ぶもの。大慧語録などに見える「風吹柳絮毛毬走」(風が柳に吹いて白い綿毛が舞う)に基ずく語句。【五燈会元・宋】

Mm780





■781不惜眉毛」(びもうをおしまず)
余り丁寧に仏法を説きすぎたり誤った教えを伝えると、罰として眉毛が抜け落ちると言われるが、それも顧みずに人のために説法をすること。「眉毛を惜しむことなく、教えを説いてあげよう」という言い回しで使われる。【碧巌録・宋】

Mm781





■782勿嫌底法」(きらうていのほうなし)
全てのものにおいて、嫌うべきものはない。真実の姿を見ようとするならば、好き嫌いや選り好みをしてはいけないという臨済義玄禅師の教え。「至道無難唯嫌揀択」(至道は難きことなし、唯揀択を嫌う)と同義。【臨済録・宋】

Mm782





■783万法一如」(ばんぽういちじょ)
全ての存在が一体であること。万物は様々な形状を持ち外見は千差万別であるが、無常・無我という点においては根源は同じであり平等なのである「万法帰一」も同趣旨。【臨済録・宋】

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■784非心非仏」(ひしんひぶつ)
心でもなく、仏でもない。「即心即仏」(馬祖道一説=心が仏である)により、心と仏との関係に執着する者が現れたため、それらを否定するために用いられた語句。心は仏ではない、とする解釈もある。【無門関・宋】

Mm784





■785撥草瞻風」(くさをはらってかぜをみる)
不要なものを払いのけて真実の世界を仰ぐこと。真実を求めて困難を乗り越えて煩悩の草を除いて、悟りの世界の爽やかな風を慕って進むことを表す。【碧巌録・宋】
Mm785






■786万古清風」(ばんこせいふう)
太古より常に変ることなく吹き続けている清風。煩悩や執着が消え去った後の爽やかな境地の象徴が「清風」であり、私達が気付く気付かないは関係なく、清らかな悟りの世界はいつも変らず存在している。【碧巌録・宋】
Mm786








■787賓主歴然」(ひんじゅれきねん)
主客の区別がはっきりしていること。主と客とが明確に分かれていて、互いに相手の立場を侵さないこと。この反対が「賓主互換」である。【臨済録・宋】
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■788賓主互換」(ひんしゅごかん)
ある時は主が客の立場になり、又ある時は客が主の立場になる。主客が互いに自由自在に入れ替わること。高い力量を身に付けた禅の修行者同士が問答をして、尋ねる者と答える者とが無碍自在に立場を変えること。「無賓主」とも表現される。【碧巌録・宋】
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■789露柱拍手」(ろちゅうはくしゅす)
仏殿の柱が拍手をしている。分別や常識を離れた自由な働きの象徴。「石人点頭 露柱拍手」(石人がうなずき 露柱が手をたたく)の成句あり。【景徳伝灯録・北宋】
Mm789






■790竜吟雲起」(りゅうぎんずればくもおこる)
竜が唸ると雲が湧き起る。「竜吟雲起 虎嘯風生」(虎が吼えると風が生じる)に基ずく語句。有能な人がひちたび奮起すれば非常に大きな成果を挙げることの例えである。「風従虎雲従竜」も同趣旨。【五燈会元・宋】
Mm790






■791別無聖解」(べつにしょうげなし)
聖なる悟り、尊い見解といったものが特別あるわけではないこと。目の前の森羅万象に真理がありありと現れているのだ。脚下を顧みないで、遥か彼方を見つめている求道者への戒めである。【五燈会元・宋】
Mm791






■792明月芦花」(めいげつろか)
穂を出した芦に数え切れないほどついた白い小花と、明月の白い光が二つながら共に輝いている情景。「芦花映明月 明月映芦花」に基ずく語句。一に非ず二に非ず、主体と客体が融合して一つに成りきっている状態を表現している。また同等の中の独自性でもある。【景徳伝灯録・北宋】
Mm792






■793宝所在近」(ほうじょちかきにあり)
珍しい宝の国が近くにある。転じて、悟りの世界が近くにあること。法華経では「宝所」は究極の涅槃の境地をいう。「更進一歩」(更に一歩を進めよ)の句をあとに続けて、求道修行の激励に用いる。【毒語心経・江戸時代】
Mm793






■794無位真人」(むいしんじん)
名前も位も持たない真の存在。執着や迷妄が消え去ったところに自然に働き出す力の人格化である。「この肉体には、名前も位もない自由自在の真人がいて、常に目や鼻や口から出入りしている」と臨済録に記述されている。【臨済録・宋】

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■795探竿影草」(たんかんようそう)
漁夫が魚を誘い集めるのに使う竿棒と、魚をおびきよせるのに使う水草。転じて、禅修行者の力量を見極めるのに師が探りを入れること。「ある時の一喝は探竿影草のごとし」などの用例あり。【臨済録・宋】

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■796超仏越祖」(ちょうぶつおつそ)
仏や祖師を超越すること。「正しい見解を得たいなら、人に惑わされるな。内でも外でも会ったものはすぐ殺せ。仏に会えば仏を、祖師に会えば祖師を、父母に会えば父母を殺すことで、束縛のない自由の身を得るであろう」と臨済義玄は述べている。【碧巌録・宋】

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■797薬病相治」(やくへいあいなおす)
この場合の「薬」とは衆生の迷妄の病を除き去って安楽の境地に至らせる仏の教えのことである。しかし薬により悟りを得ても、その悟りの世界に執着して、また病にかかるものである。薬と病との両方共に除き去るのが真の悟りの境地である。【碧巌録・宋】

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■798明月蔵鷺」(めいげつにろをかくす)
月の中に鷺を置くことであり、「明月芦花」「白馬入芦花」などと同じく、二つでありながら一つに融合している様を表している。また同等の中の独自性でもある。前句に「銀盌盛雪」(銀色のお碗に雪を盛る~)がつく。【宗鏡三昧・宋】

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■799遊山翫水」(ゆうざんがんすい)
山遊びや水遊びをすることであり、気ままに楽しむことの例えである。また、大悟を得た禅僧が各地の禅匠を訪ね歩くこと。「修行者の本来の姿はどうゆうものか」との問いに雲門禅師は「遊山翫水」と答えている。【雲門広録・唐】

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■800無欠無余」(かくところなくあまるところなし)足らないところも余るところもないこと。仏教の真理の円満性、人皆が生来持っている仏の本性の純粋な完全性を表す。「真理は大空のように円で、無欠無余なのである」と記される。【信心銘・漢魏六朝】
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