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三文字 ( 8 )

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 <三文字 (8) 目次> 本コーナーの漢語

351鑒澄潭 352鯉魚風 353魚負氷 354月送涼 355朝取涼
356好於秋 357月可玩 358清入骨 359禦烈日 360弄清泉
361乾屎橛 362帰去来 363觀自在 364一字師 365星斗寒
366揚州鶴 367覿面事 368森々地 369湛々地 370不應世
371主看客 372客看客 373禿屢生 374自然人 375得便宜
376客看主 377
客作漢 378鏌鎁劍 379太高生 380奇特事
381帖々地 382閒不徹 383漆桶輩 384掠虚漢 385向道士
386眞坐人 387一轉語 388雨滴聲 389可惜許 390
花薬欄
391解打鼓 392何似生 393露堂々 394赤洒洒 395塗毒鼓
396体中玄 397白拈賊 398不失花 399也太奇 400没絃琴

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      三文字(8)




■351鑒澄潭=ちょうたんにかんす
澄み切った水面に自分の姿を映してみる。【陸紹珩・清】

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■352
鯉魚風
=りぎょふう
陰暦9月に吹く風をさしていう言葉。【~・唐】

Zm






■353
魚負氷
=うおこおりをおう
冬を形容していう語句。【鄭康成・漢魏六朝】

Zm_3




■354
月送涼
=つきりょうをおくる
秋の月の涼しい様をいう。【任翻・唐】

Zm_4





■355
朝取涼
=あさにりょうとる
朝方に納涼すること。【~・清】
Zm





■356
好於秋
=あきよりもよし
秋よりも夏を好んでいうことば。【陸亀蒙・唐】
Zm




■357
月可玩=つきもてあそぶべし
月を愛でて楽しむべきです。【欧陽詹・唐】
Zm_2




■358
清入骨
=せいほねにいる
骨に染込むような清らかさ。清氣が極めて高い様をさす。【~・唐】
Zm




■359
禦烈日
=れつじつをふせぐ
夏のはげしい熱気を防御すること。【司馬温公・宋】
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■360
弄清泉
=せいせんをろうす
清らかな泉を散策したり、楽しむこと。【呉子和・明】
Zm_2




■361乾屎橛=かんしけつ
乾屎橛は糞かきべらのこと。糞は不浄なものだが無くてはならない。正に仏である。「仏とは」に対する雲門文偃禅師の答え。 【無門関・宋】
Zm





■362帰去来」 (ききょらい)
田園に隠棲する気持ちを歌った陶淵明の詩「帰去来辞」(帰りなん、いざさあ帰ろう)に由来する。去来とは去ることと来ること~往来(ゆきき=行ったり来たりする)の意。苦悩を離れて自己本来の安楽の境地に帰ろうという誘いでもある。碧巌録にも「南北東西帰去来」の語句がある。【陶淵明・漢魏六朝】【碧巌録・宋】
Zm_2





■363觀自在」(かんじざい)
もろもろの存在を観ることが自由自在である。人間的欲望の束縛から離れて何事にも捕らわれないこと。觀自在菩薩のこと。【般若心経・】
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■364
一字師」(いちじのし)
詩・文章において不適切なところ(一字)を直してくれる人。長幼に関係なく、指摘をしてくれる人を尊敬すること。【五代史補・唐代後】
Zm_3





■365星斗寒」(せいとさむし)
寒々と星が光っている冬の夜空のこと。斗は星宿の名で、北の七星を北斗星と呼ぶ。【李中・唐】
Zm





■366揚州鶴」(ようしゅうのつる)
昔の中国で客人の一人が希望を述べた~有り余るお金を持って都の楊州へ鶴に乗って行きたいと。決して実現しない妄想の意をさす。【蘇東坡・宋】
Zm_2





■367覿面事」(てきめんのこと)
当面に対座している、まのあたりの一大事。誠の自分を見極めることが大切である。【趙州録・唐】
Zm_3





■368森々地」(しんしんち)
外界のものが身近にあるように、明白かつ具体的に見えてくること。【趙州録・唐】
Zm_3





■369湛々地」(たんたんち)
満潮も干潮もなく、潮の増減のなくなった状態をいう。不生不滅の絶対空の世界でもある。【洞山録・唐】
Ma690





■370不應世」(よにおうぜず)
世間と自己との対立心が全くなくなった世界。仏道修業の確立により達成される世界をいう。【趙州録・唐】
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■371主看客」(しゅきゃくをみる)
優れた指導者(師家)が、つまらない学人(修業者)の本性を看破ること。【臨済録・宋】
Me371




■372客看客」(きゃくきゃくをみる)
学人(修業者)も指導者(師家)も供に分からずやであること。【臨済録・宋】
Zm




■373禿屢生」(とくるせい)
馬鹿者!僧を罵倒する叱咤言葉。【臨済録・宋】
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■374自然人」(しぜんじん)
生滅のない者を自然と呼ぶことから、仏を指して自然人という。【金鞭指街・江戸時代】
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■375得便宜」(とくべんぎ)
相手の隙、盲点をついて得をすること。油揚げをさらう鳶になること。逆にしてやられることが「落便宜」。【寒山詩・唐】
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■376「客看主」(きゃくしゅをみる)
優れた学人が、師家(指導者)のつまらぬ所を見破ること。【臨済録・宋】
Zm_3






■377客作漢」(きゃくさかん)
主家地主の田畑を借りて耕作する小作人のこと。【寒山詩・唐】
Ma770





■378「鏌鎁劍」(ばくやのけん)中国の呉に実在した名剣の刀鍛冶・鏌鎁にちなんで、理智を一刀両断する第一人者の例えに使われる。【洞山録・唐】
Mm






■379太高生」(たいこうせい)
たいそうなお値段だの意。生は助辞である。【臨済録・宋】
Mm






■380奇特事」(きとくじ)
深遠にして微妙なること。特に優れて珍しいこと。【雪竇頌古・平安時代】
Mm_2





■381帖々地」(じょうじょうち)
ゆったりと構えて落ち着いている様子。【大慧書・宋】
Mm_3





■382閒不徹」(かんふてつ)
極めて閑静であること。限りなくのんびりしている様。宋時代の語録「雲在嶺頭閒(閑)不徹 水流澗下太忙生」(山上に浮かぶ静かな雲の様子と忙しく流れる水の対照的な様子)による。【虚堂録・宋、葛藤語箋・江戸時代】

Ma82






■383漆桶輩」(しっつうのやから)
仏を拝むにも真っ暗闇の漆桶のなかに入り込んで仏の在り処が見えない人々。仏法がわからないわからずやのこと。【大慧書・宋】
Mm_2







■384掠虚漢」(りゃくきょかん)
目指すものに手が届かず、空振りばかりしている男のこと。腰が坐らないおっちょこちょいを指す。【雪竇頌古・平安時代】
Mm_3






■385向道士」(こうどうのし)
仏道に向かい一心に修業邁進している人のこと。同志がいなければ、軒下の石を同志とせよと教えている。【日本洞上聯灯録・鎌倉時代】
Ma385





■386眞坐人」(しんざにん)
身心脱落こそ真の坐である。中途半端な人身の坐、人心の坐であってはならない。【大珠慧海・唐】
Mm






■387一轉語」 (いってんご)
心機を一転させる語。迷いを転じて悟りを 開かせる一語。【碧巌録・宋】
Mm_2





■388雨滴聲」(うてきせい)
雨だれの音をそのまま「雨音」と答えた修業僧に対する師匠の嘆息。外界にとらわれて自分を見失ってはいけないという教え。【碧巌録・宋】
Mm_3







■389可惜許」(かしゃくこ)
もったいない(惜しい)ことをしたの意。許(呼)は感動表現の助詞です。【碧巌録・宋】
Mm






■390花薬欄」(かやくらん)
柵で囲われた美しく咲く芍薬の植え込みのこと。「花薬」は芍薬のこと。雲門禅師が「毘盧舎那仏(ビルシャナブツ)とは如何に」との問いに「花薬欄」と一言答えたとされる。雑草の花でも、色を誇る事もなく競う事もなく、ありのままの姿こそ仏性であるとの意。「雲門花薬欄」という禅の公案の一つになっている。【碧巌録・宋】

Ma900






■391解打鼓」(かいだく)
禾山禅師の「ワシは太鼓を打つ事が出来るんだ!」との三度同じ返答に基ずく。何の変哲がないことがわかって初めて悟りの入口である。【碧巌録・宋】
Mm_3







■392何似生」(かじせい)
「どうなのか」などの意味を表す「何似」のあとに接尾語「生」がついた言葉。「如何」などと同義であり、「どうなのだ」と相手に状態・所見を尋ねる時に使う。【祖堂集・唐/宋】
何に例えようもない自分とは一体何なのか、という禅の考案(問題)でもある。絶対のものはなく全て比較対称あってのことのようですが、絶対なるものを探求するところに前進があるのです。【碧巌録・宋】

Mm







■393露堂々」(ろどうどう)
全てのものが少しも隠れることなくむき出しになっている様子。真理とか大道とか悟りなどは高くて遠い所ではなく、一点隠すところもなく目の前に堂々と現われているのです。前句に「明歴々」がつく。【従容録・宋】
Mm66









■394赤洒洒」(せきしゃしゃ)
一糸纏わぬ裸のように、まっさらで曇りのない純真な様の事。一切を放下して到達できる純真無垢で赤子のように無邪気な境涯をさす。煩悩や妄想が全くなく正常であること。何物にもとらわれない自在無碍の状態でもある。【碧巌録、五燈会元・宋】

Ma394







■395塗毒鼓」(ずどっこ)
怖ろしい毒が塗られていて、その音を聞いた人は死んでしまうといわれる鼓。しかし不気味な音と捉えず、心中の毒欲賊を殺して清浄な心にする音として捉えることである。仏の説法は聞く者の迷妄・執着・貪欲などを消し去ることから、このように呼ばれる。【涅槃経・、禅林僧宝伝・明】

Mm22







■396体中玄」(たいちゅうげん)
玄とは奥深いもののことで、絶対真理・悟りを意味する。臨済録には「玄中玄(根本真理の秘在)」「句中玄(文言表記の悟り・真理:経典、仏語)」「体中玄(身体行動の悟り・真理)」の三玄門がある。体中玄を人格化したのが観世音菩薩である。【臨済録・宋】

Mm33







■397白拈賊」(びゃくねんぞく)
白昼の盗人のことに例えて、師家の賛辞に使われる。師家の仕事は修業者の煩悩妄想を奪い取ってやること、又開悟の妨げや気負いを本人にも分からずに抜き取ってやることである。与えることより奪うことが上手であり、大泥棒やスリに似ているとの賛辞である。臨済禅師はこの名により称えられる。【碧巌録・宋】

Mm44






■398不失花」(うせざるはな)
花とは芸術的魅力であり、美の象徴である。芸術家にとって花は命であり、花を失ってはだめだということである。能楽師世阿弥元清の秘伝書「風姿花伝」中の言葉「失せざらむ花を持ちたるしてならば天下の名望を得」による。【風姿花伝・足利時代】
Mm11







■399也太奇」(やたいき)
またはなはだきなり~とも訓読される。「まことに奇妙(不思議)だ」という驚き、讃歎のことば。雲巌禅師の見事な説法に感銘した洞山禅師の讃辞の一偈で有名となる。【洞山録・唐、五燈会元・宋】
Mm22







■400没絃琴」(ぼつげんきん)
没は無の意であり、無絃の琴である。無絃の琴では音は出ないのだが、心音にて聞き取る意である。百千万語ならべても説明できない禅の妙旨を、象徴的に簡潔にあらわすことを没絃琴を弾ずるという。釈迦の拈華を読み取った迦葉の破顔微笑などがこれに当たる。【陶淵明・漢魏六朝】
Mm33





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