« 四文字(16) | トップページ | 四文字(14) »

四文字(15)

415titol
◇◇◇◇◇◇にほんブログ村 美術ブログ 書・書道へ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 
<四文字 (15) 目次 >    本コーナーの漢語

701海晏河清     702芥納須弥     703山雲海月
704寿比南山     705樹高招風     706諸悪莫作
707枯木寒灰     708枯木花開     709撃竹明心
710言語道断     711虎嘯風生     712月上中峰
713枯木生花     714七事随身     715処処全真
716坐一走七     717左右逢源     718左之右之
719失銭遭罪     720七花八裂     721如夢相似
722松樹千年     723神駒千里     724深弁来風
725清風満地     726水月道場     727心心不異
728心性一如     729清風匝地     730心空境寂
731吹毛常磨     732松老雲閑     733松直棘曲
734如是如是     735水中撈月     736随波逐浪
737深蔵若虚     738上無片瓦     739塵塵三昧
740人境倶奪     741上無攀仰     742浅水無魚
743洗心日新     744洗鉢孟去     745打破漆桶
746大死一番     747石筍抽条    748截断衆流
749疎影暗香     750体露金風
--------------------------------------------
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



 四文字(15)



■701海晏河清」(かいあんかせい)
海は波もなく穏やかであり、河の水も清らかに澄みきっている。天下泰平で見渡す限り落ち着いている様。仏法の存在すら必要のない平安の境地でもある。【碧巌録・宋】
Mm701_2








■702芥納須弥」(かいにしゅみをいる)
小さな芥子の粒の中に、世界の中心に高く聳える須弥山を入れる。「毛呑巨海」(一本の毛が大海を飲み尽くす)と共に用いられる。大小や高低などの相対的分別心を断ち切って現れる自在の働きをいう。【臨済録・宋】
Mm702_2








■703山雲海月」(さんうんかいげつ)
我欲・名声などを捨て去った自由な心でとらえた万物のこと。碧巌録における禅月集にある一節「~話尽山雲海月情」に基ずく語句。【碧巌録・宋】
Mm703






■704寿比南山」(じゅはなんざんにひす)
寿命と幸福が南山のように永遠であること。「寿如南山」とも表現される。西安の南方にある終南山は非常に堅固な様から、永遠に聳え続けると信じられている。【南史・漢魏六朝】
Mm704






■705樹高招風」(きたかければかぜをまねく)
木が高いと風を呼びやすい。「潭深聚魚」(淵が深いと魚が集まりやすい)とともに用いられる。有徳の士のもとには人が集まってくる例えでもある。【五燈会元・宋】
Mm705






■706諸悪莫作」(もろもろのあくをなすことなかれ)
もろもろの悪行をしないこと。釈尊以前にこの世に現れた「過去七仏」が共通して受持したといわれる「七仏通戒偈」(諸悪莫作 衆善奉行・・)の冒頭の語句である。【七仏通戒偈(法華経)・】
Mm706






■707枯木寒灰」(こぼくかんかい)
枯れた木と冷え切った灰。思慮分別のはたらきを全て滅し、煩悩妄想も断ち切られた活力のない状態のこと。新たな生命力の息ぶきが現れる直前の段階でもある。「枯木死灰」とも表される。【虚堂録・宋】
Mm707






■708枯木花開」(こぼくはなひらく)
五燈会元などに見える「枯木花開劫外春」(枯木に花が咲く別世界の春)に基づく語句。不要なもの余分なものを滅し尽くせば、新たな天地が現れること。「枯木生花」と同義。【人天眼目・宋】
Mm708






■709撃竹明心」(きゃくちくにこころをあきらむ)
竹の音を聞いて心の本質を見極めること。真理到達のためには文字や知識は不要であると悟った香厳禅師の、箒で掃き飛ばした小石の竹に当たる衝撃音での開悟したという話に基づく。【続古尊宿語録要・明】
Mm709






■710言語道断」(ごんごどうだん)
言語という表現手段が断ち切られていること。言葉で表現する方法がないこと。真実の姿を見る立場からすれば、全てのものには固定した実体はなくて、名前も仮に付けられたものに過ぎないという意味。【大智度論・漢魏六朝】
Mm710






■711虎嘯風生」(とらうそぶけばかぜしょうず)
虎が吼えると風が生じる。前句に「竜吟雲起~」(竜が唸ると雲が起る)がつく。素晴しい力を持つ禅修行者の鋭さ激しさの象徴。有能な人間の奮起により大きな成果があがる例えでもある。【碧巌録・宋】
Mm711






■712月上中峰」(つきちゅうほうにのぼる)
山の峰に明るい月が昇ってくる。前句に「雲収万岳~」(空を覆っていた雲が山の峰陰に収まる)がつく。煩悩の雲が跡形もなく消え去って、円満な月のような心が明らかになってきたこと。【普灯録・宋】
Mm712






■713枯木生花」(こぼくはなをしょうず)
枯れてしまった木に再び花が咲いた。死者が再び息を吹き返した。転じて、煩悩妄想の活動を完全に滅してしまえば、自分の中の眠っていた仏の本性が蘇ってくるという意味に用いられる。【碧巌録・宋】
Mm713






■714七事随身」(しちじみにしたがう)
必要な七つのものが全て身に備わっていること。臨済禅における七事とは「殺人刀」「活人剣」「脚踏実地」「向上関椖子」「格外説話」「衲僧巴鼻」「探竿影草」の七つである。【碧巌録・宋】
Mm714






■715処処全真」(しょしょぜんしん)
至る所全てにおいて、真理そのものが現れている。どこを見ても真実がまるごと顕現している。「澗水松風悉説法」「古松談般若 幽鳥弄真如」などは、その様を表現した句である。【碧巌録・宋】
Mm715






■716坐一走七」(いちにざしてしちにはしる)
唯一絶対の真理に腰を落ち着けていながら、一方では俗世間の中の諸事に臨機応変に対応すること。「一」はただ一つの真理、「七」は日常の雑事のこと。なお「一を坐せしめ七を走らしむ」と読んで、師が修行者を色々な方法で指導するとの解読もある。【圓悟語録・宋】
Mm716






■717左右逢源」(さゆうみなもとにあう)
左右どちらを向いても、一挙手一投足すべてが仏心のはたらきの源から離れないこと。孟子にある「之を左右にとりて其の原に逢う」(大道を完全に自分のものにした人の言動は、左右どちらをとっても根本に合致している)に基ずく語句である。【虚堂録・宋】
Mm717






■718左之右之」(さしうし)
左にも右にも、いずれにしても、ともかく、などの意。前後の文脈によっては、どれもこれもすべて、また、どっちつかずの意味にもなる。【碧巌録・宋】
Mm718






■719失銭遭罪」(せんをうしなってつみにあう)
お金をなくして罰せられる。唐代に実在したといわれる法律。損をした上に更に怖い目に逢うことであり、いわゆる「泣きっ面に蜂」。禅の修行者が余分な考えを、師から徹底的に奪い尽くされることにも用いられる。【碧巌録・宋】
Mm719






■720七花八裂」(しちかはちれつ)
粉々に砕け散ること。「祖師心印七花八裂」(菩提達磨から伝えられた悟りもこっぱみじんだ)に基ずく。別に自由自在の意味もあり、融通無碍に悟りの力量を発揮することを表している。【碧巌録・宋】
Mm720






■721如夢相似」(ゆめのごとくにあいにたり)
夢でも見ているかのようだ。南泉禅師の語句「時人見此一株花 如夢相似」(今時の人は花の真実の姿を見て取れる自己を確立していないから、折角のこの花を見ても夢の中の花のようにしか見ることが出来ない)に基ずく。【黄龍四家語録・宋】
Mm721






■722松樹千年」(しょうじゅせんねん)
いつまでも変らない松の緑に、尊い真理の不変性が象徴されている。「松樹千年翠 不入時人意」(松が幾多の風雪に屈せることなく緑を保ち続けている堅固さに、世の人々は気付いていない)の語句に基ずく。【天聖広灯録・宋】
Mm722






■723神駒千里」(しんくせんり)
駿馬が一日に千里もの距離を駆け抜ける。禅修行者の優れた力量を称える表現である。「神駒」は優れた馬のことで、才能の優れた人を指している。【碧巌録・宋】

Mm723





■724深弁来風」(ふかくらいふうをべんず)
慎重に風向きを計算することであり、無駄な矢を放たないようにせよとの戒め。転じて、問答をする際にも、相手の様子を慎重に伺って、無駄な問いをするなとの戒めである。【碧巌録・宋】

Mm724





■725清風満地」(せいふうちにみつ)
爽やかな風が吹き渡ってあたり全体に満ちている。悟りを得て自由になった心の清々しさを形容した言葉である。真理が大地に満ちている様の形容でもある。「清風匝地」と同義。【禅林類聚・元】

Mm725





■726水月道場」(すいげつどうじょう)
輝く月の姿は、湖上にも、草葉の露にも、瓶の水面にも、清濁にかかわることなく平等に映し出されている。真理の輝きは万物全てに行き渡っていることを象徴的に示しているのであり、現実世界全体が仏道の真の道場であることを物語っている。【洞上雲月録・江戸時代】

Mm726





■727心心不異」(しんしんふい)
様々な瞬間に働く心が常に正しい意識を離れず、夫々別のものではないこと。正しい思いが常に相続されていること。臨済義玄は「心心不異なるあり方を生き仏と名付ける」と述べています。【臨済録・宋】

Mm727





■728心性一如」(しんしょういちじょ)
心と本性とは表裏一体であること。五燈会元などに「心是性体 性是心用 心性一如」の表現あり。心と本性とは別々のものではないのである。【御選語録・清】

Mm728





■729清風匝地」(せいふうちをめぐる)
爽やかな風が地を吹き巡っている。悟りを得ることで迷妄や執着から解放され、自由になった心の清々しさを表している。真理が天地に満ちている様の形容でもある。「清風満地」と同義。【碧巌録・宋】

Mm729





■730心空境寂」(しんくうなればきょうじゃくなり)心がとらわれのない状態になれば、心を乱す原因の全てが消え去ってしまいます。「寂」は、動きが止まることであり、静かになる様、落ち着くことである。悟りの境地の同義語といえます。【宗鏡録・(五代十国)宋】
Mm730






■731吹毛常磨」(すいもうつねにみがく)
吹毛の剣は常に磨いておかなければならない。「吹毛」とは、フッと吹きかけた毛をも真っ二つに切り裂いてしまうほど鋭い剣のこと。転じて、修行者の誤った考えを瞬時に切断して消し去ってしまう、禅の師の優れた力量のこと。【大燈国師偈・鎌倉】

Mm731





■732松老雲閑」(まつおいてくもしずかなり)
松の老木が穏やかに佇み、雲が静かに浮かんでいる。臨済義玄が師(黄檗)の下で仏法の真髄を追求していた日々の情景描写の表現であり、「臨済録」の序文にある。【臨済録・宋】

Mm732





■733松直棘曲」(まつはなおくいばらはまがれり)
松の木は真直ぐに伸びているが、荊の木はくねくねと曲がっている。全てのものがそのままに真実の姿を表している。あらゆる現象は千差万別のあり方で存在しており、その生き生きとした様が仏の説法である。【禅林類聚・元】

Mm733





■734如是如是」(かくのごとしかくのごとし)
そのとおりだ。あなたが言うとおりだ。相手の話を聞き、その内容に納得する時の言葉。仏典では、仏が弟子に問いかけをして弟子が見解を述べると、仏が「そのとおりだそのとおりだ」と肯定する時に使われる。【金剛経・】

Mm734





■735水中撈月」(すいちゅうにつきをとらう)
水に映っている月は月自身ではないのに、そこに実体を見出してそれを取ろうとすること。自分の力を向ける方向を誤っていることの例え。無益な努力。【虚堂録・宋】
Mm735






■736随波逐浪」(なみにしたがいなみにおう)
大きい波や小さい波に逆らうことなく身を任せて対応するように、師が修行者にあわせて教化の手段を使い分けること。時と場合に応じて自在に変化する力。執着や我欲を捨て切ってあらゆる状況に融通無碍に適応すること。主体性のないことを非難するのにも使われる。【碧巌録・宋】
Mm736






■737深蔵若虚」(ふかくぞうしてむなしきがごとし)
奥深く収めて何もないかのようだ。徳や力を表面に見せないこと。老子の語句「良賈(商人)は深く蔵して虚しきが如く、君子は盛徳あって容貌愚かなるが如し」に基ずく。【史記・】
Mm737






■738上無片瓦」(かみへんがなし)
上には一片の瓦もない。「上無片瓦覆頭 下無寸土立足」からの語句である。全ての妄想執着を捨て去った結果、自分も天地もなくなってしまった境地の現れである。【御選語録・清】
Mm738






■739塵塵三昧」(じんじんざんまい)
極小の一微塵の中に全宇宙を入れることを実現する精神の集中。華厳経に見られる語句。雲門禅師が「塵塵三昧とはどのようなものか」との問いに「鉢の中の飯、桶の中の水」と答えている。【碧巌録・宋】
Mm739






■740人境倶奪」(じんきょうぐだつ)
「人」は主観であり、見る側の自分のこと。「境」は見られる対象の万物である。それら両方とも奪って何も表せないようにすること。師が修行者に接する際に用いる四つの手段の一つである。【臨済録・宋】
Mm740






■741上無攀仰」(かみはんこうなし)上を見上げても頼るべきものがないこと。後に「下絶己躬」(下には支えるべきものがない)と続く。「上無片瓦 下無寸土」などと同義で、無に徹した結果得られる天地一体の境地を表す。【続伝灯録・北宋】
Mm741






■742浅水無魚」(せんすいむぎょ)
水深が浅いので捕える魚が居ない。水深が浅い所では釣り糸を垂れても無駄であることから、転じて底の浅い人間は導きようがないの意。【景徳伝灯録・北宋】
Mm742






■743洗心日新」(こころをあらえばひにあらたなり)
自分の心を洗い清めるよう心掛ければ、毎日毎日新鮮に迎えることが出来る。【御選語録・清】
Mm743






■744洗鉢孟去」(はちをあらいされ)
食事の後には使った鉢を洗いなさいの意。「真理」に対する趙州禅師の答えである。鉢を洗い去り、更には仏という名も洗い去り、真理という名さえも洗い去ったところに到達点があることを教える語句である。【無門関・宋】
Mm744






■745打破漆桶」(しっつうをだはす)
見通しがまったくきかない迷妄状態を打ち破って、真理を見る眼が開けること。「漆桶」は黒いうるし入りの桶であり、光が入り込まない暗黒のことから、無知・迷妄の象徴に例えられる。【禅関策進・明】
Mm745






■746大死一番」(だいしいちばん)あらゆる妄想や分別・執着を捨て切って、それまでの自分を徹底的になくしてしまうこと。それを達成した人を「大死底人」という。なお、「大死一番」した後に「絶後再甦」することが肝要である。【碧巌録・宋・】
Mm746






■747石筍抽条」(せきじゅんえだをぬく)
石のたけのこに枝が生えること。真理を見極める仏の本性のはたらきを束縛しているのが常識的分別心なのである。無の境地に徹して分別心を滅し去れば、「石筍抽条」の如き常識の枠を越えた新たな世界が開けてくる。【槐安国語・唐】
Mm747






■748截断衆流」(しゅうるをせつだんす)
煩悩執着などのあらゆる意識の流れを断ち切って止めること。「衆流」とは、心の中で絶えず生じ続ける思い、特に煩悩執着が次々に現れ出ることをいう。「函蓋乾坤」「随波逐浪」とともに「徳山三句」と呼ばれる。【碧巌録・宋】
Mm748






■749疎影暗香」(そえいあんこう)
まばらな梅花の影から芳しい香りが漂っている。林和靖の「山園小梅詩」の一節「疎影横斜水清浅 暗香浮動月黄昏」より一部を変形させたもの。【林和靖詩・宋】
Mm749






■750体露金風」(たいろきんぷう)
仏の教えが秋風の中にすべて現れている。「木が衰え、葉が落ちるのをどう思われますか」との問いに対する雲門禅師の答え。【碧巌録・宋】
Mm750











   四文字(15) 終了


次の文字種をクリックして、お好みの場所へお入り下さい。

<六文字(1)>


<五文字(1)>
 <五文字(2)><五文字(3)>
<五文字(4)>   <五文字 (5)> <五文字 (6)>
<五文字(7)>  <五文字(8)> <五文字(9)>
<五文字(10)> <五文字(11)>  <五文字(12)>
<五文字(13)> <五文字(14)> <五文字(15)>
<五文字(16)> <五文字(17)> <五文字(18)>
<五文字(19)>

<四文字(1)>
 <四文字(2)> <四文字(3)>
<四文字(4)>
 <四文字 (5)> <四文字 (6)>
<四文字(7)>
 <四文字(8)> <四文字(9)>
<四文字(10)>
 <四文字(11)><四文字(12)>
<四文字(13)>
  <四文字(14)> <四文字(15)>
<四文字(16)>
 <四文字(17)>

<三文字(1)>
 <三文字(2)><三文字(3)>
<三文字(4)>
 <三文字(5)> <三文字(6)>
<三文字(7)>
 <三文字(8)> <三文字(9)>
<三文字(10)>


<二文字(1)>
 <二文字(2)>

 <一文字>

CONTENTS(目次)
  漢語・字句一覧

  <お問合せ・ご要望>
------------------------------------------

にほんブログ村 美術ブログ 書・書道へ

« 四文字(16) | トップページ | 四文字(14) »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/132709/47863762

この記事へのトラックバック一覧です: 四文字(15):

« 四文字(16) | トップページ | 四文字(14) »